小児性愛者(ロリコン、ペドフィリア)のために考える

小児性愛者(ロリコン、ペドフィリア)のためになることを考えていきます

芸術的なアプローチ

 自分なりの思想が出来上がっていくのは、それを他人に開陳し、何かしらの評価を受ける時です。絵画にしても文章にしても、そのスタイルができて行く過程は同様です。

 

 役者が美しいのも、人前で演じるからこそです。

 

 すべて表現というものは、他者がいてこそ意味のあることでしょう。

 

 そして、表現した内容によって、自分自身も影響を受けていきます。

 

 自殺した作家の最期に近い文章は、何か暗いものが多くはないでしょうか。直接死に触れているのではなくても、悪や絶望や苦悩をテーマにしてはいないでしょうか。

 

 作家は、全身全霊をかけて作品を形にしていきます。いわば、人生の負の面を真剣に考えて形に表していくのです。それが自己に反映して来ないはずはありません。性格的な負の面も強調されて行くのではないでしょうか。

 

 ポジティブ思考という言葉があります。これは、物事の良い面を見出して、良い方向に出来事を解釈していく方法です。

 

 これに対し、人生の負の面を取り立てて描いていく事は、ネガティヴ思考の極みだと言えます。自分の中からそういうものを作り出し、取り出して、磨き上げるからです。

 

 さて、これをペドフィリアに応用したらどうなるでしょうか。

 

 例えば、子供を扱った作品を作ります。表現手段は何でも構いません。自分とその子供が恋愛関係になり、望むこと全てを描くものとします。

 

 ここまでで終わると、ペドフィリアの傾向を助長する事になります。

 

 そこで、その子供との恋愛が、成長しても続いていくという話にします。そして、大人としての魅力を、あらん限りの力で描きます。

 

 必ずハッピーエンドにしなければなりません。

 

 小児性愛を扱ったストーリーにありがちなのは、子供と仲良くなり、性的な関係を持ち、遂には破滅するというパターンです。これでは作り手の役には立たない道理です。今は作り手の小児性愛緩和のための表現を主眼にしています。

 

 その後、鑑賞者が楽しめるレベルにまで研鑽していくと、表現の力量も緩和の効果も相乗的に上がっていくでしょう。

 

 上記はあくまでも個人的な仮説です。

 

 私事にわたって恐縮に存じますが、ここで私の書いたものをご紹介させていただきます。このブログは評論調に書き、頭に訴えていますけれども、私も、小児性愛者が楽しめて、かつ破滅的でない芸術的作品を模索しています。

 

 Pixivというサイトに習作があり、Amazonの方に決定版があります。ご覧になって頂けたら幸いに存じます。

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www.pixiv.net