小児性愛者(ロリコン、ペドフィリア)のために考える

小児性愛者(ロリコン、ペドフィリア)のためになることを考えていきます

ルッキズムとペドフィリア

 ルッキズムという言葉を最近見かけます。良い言葉ではないようで、「外見至上主義」と和訳できそうです。これは、いわゆるポリコレの一つにもなっているらしく、例えば、『ゲゲゲの鬼太郎』のアニメの第6期と呼ばれる作品の猫娘が、『ゲゲゲの鬼太郎』歴代シリーズ中、一番の美少女に描かれたのを「ルッキズムではないか」と批判されたり、アメリカ合衆国の映画には、わざわざ容姿の冴えない人物を主要な役として当てがったりする現象が起きています。

 

 世の中には美男美女ではない人間も存在しているのであり、その存在をも、そのままの姿で価値を認めろという主張なのでしょうか。

 

 世の中が美男美女に憧れ、特に男性たちが美女を希求してきたことは、クレオパトラの諺や玄宗の例を引くまでもなく、普通一般のことでした。絶世の美女はおろか、村一番の美人とか、クラス一の美少女などという言葉にも何の珍しさもありません。美の基準は時代によって違えど、美しさを備えた者に人は憧れ続けてきました。

 

 ポリコレでは、それが不当である、不平等であると言われます。

 

 理解できない訳ではありません。容姿の故に、異性関係を初め、社会のさまざまな場面において有利不利が生じることから、その時代や地域の美の基準に自分を近づけなければならないというプレッシャーを感じて生きることは、強迫性障害的な苦しみですし、人によっては遺伝的に、ほとんど美の基準を満たすところへ至り得ないでしょうが、それがその人に一種の絶望感をもたらすことは想像に難くありません。

 

 そうなると、価値ある「自分らしさ」として、美とは異なるアイデンティティーを見つける作業がまたのしかかってきます。

 

 現代では、美のカテゴリー側に立つような人であっても、グループ内の取り替えのきく一人ではなく、人と異なる差異化が求められるため、大きな視点では、アイデンティティーの問題は誰にでものしかかっているのだと言えるでしょう。

 

 ペドフィリアも例に漏れず、美しい子供が好きです。取り敢えず子供なら誰でも性的対象にして構わないという姿がペドフィリアに概ね見て取れるのは、彼らを取り巻く社会環境のせいで、そもそも全く対象が得られないことからの逼迫感を表しているのに違いありません。

 

 そのようなペドフィリアのあり方は、性欲を満たすために、女性含め、いわゆる風俗店に通う「しかない」成人の状況を極端に進めたようなものです。刑務所内における性への渇望にも喩えられるでしょう。

 

 ペドフィリアが子供に求めているのは肉体だけでなく、その子供らしい感覚と感情そのものでもあるのですが、そこを含めても、条件がもし許すとしたら、やはり、より美しい子供を誰もが選ぶだろうことは明らかです。

 

 美については、夏目漱石の『草枕』冒頭に、その意義と効用が明確に記されています。曰く、「住みにくき世から、住みにくき煩ひを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。」

 

 ペドフィリアの人生は決して幸せではありません。しかし、美少女や美少年の姿と心とにペドフィリアは文字通り天国の臨在を感じるのです。

 

 とすれば、ルッキズムは、生きづらいペドフィリアが生きていく上で、無くてはならないあり方なのだと言うべきでしょう。

 

エプスタイン問題と小児性愛とは関係ない

 以前から一種の噂や陰謀論として、エプスタイン氏を取り巻く小児性愛関係の話がありました。アドレナクロムなどという若返りの薬物の話も、幼児虐待に関連して噂となっていました。

 

 2026年2月現在で、「エプスタイン文書」なるものが公開されたことにより、噂でない事実が露わになってきているようです。

 

 少なくとも、さまざまな意味での幼児虐待については、単なる噂では済まないようです。

 

 しかし、それと小児性愛とは、例えば、14歳以下の子供と性交したというような、形の上では同じ行為があったとしても、意味の上では異なるものだとしなければなりません。もっと広く「未成年との性交」などであれば、単に特定の文化圏での法律の話にしかなりません。

 

 「虐待」という語の使用の幅を、現在ますます盛んになってきたような、「法に触れる行為全般」に広げてしまうと、内容が曖昧さを帯びてしまいます。例えば、子供の方から自分の性器を大人に触らせたとしても、大人が子供を虐待したことに現在ではなります。けれどもこれは、大人が子供を殴り付けることと同様に見ることはできません。同じ事であると見なすためには、間に幾つかの解釈を挟まなければなりません。間接的に、その子供が将来、心の傷となるような行為を大人が認めたので、それは暴力と同じだ、というようにです。こういう解釈をとるのであれば、子供の万引きや暴言その他の行動を訂正しなかった大人はみな子供を虐待したことになり得ます。

 

 いわゆるエプスタイン問題の件では、子供との性交の他に、幼児を殺して食べた話とか、アドレナクロムが子供の恐怖心に反応して子供の脳内に分泌されるといった話が一つになっています。

 

 これは意図的な子供の虐待こそを目的とした行為であると解釈できます。性交はその一部に過ぎません。

 

 このような「頽廃的な」もしくは「悪魔崇拝的な」行為は、ローマ帝国のカリギュラを初め、世の権力者とよく結び付けて語られてきました。地位と権力と財力を持つ人間がエゴイズムを拡大させていき、その先に起こる出来事として、想像もしやすく、また実現もされやすいイメージです。

 

 しかし、そのような権力者と小児性愛者とは、あまりにもあり方に違いがあり過ぎます。

 

 小児性愛者の一般的な要求とは、例えばアンソニー=ストーの著書によれば、子供から性的な接触も含む愛情を受けることです。アメリカのDSMでは、13歳以下の子供との性的な接触への欲求に繰り返し捉われることが小児性愛の特徴とされています。

 

 小児性愛者にとっては、子供との性的な接触は必須事項だと言えますが、子供の苦しむ姿を見る快感という点は全く無くて良い項目です。小児性愛者なら寧ろ苦しむ子供を助けたいと思うでしょう。

 

 勿論、精神的な障害または逸脱傾向というものは、サディズムとマゾヒズムがコインの裏表同様、一人の人物に併存することがあるように、複合的であり得ます。残忍な傾向を備えた小児性愛者がいても不思議ではありません。けれども、そういう人物ばかりが権力者として集まってくるというのも、蓋然性としてはお伽話のようなものでしょう。傲慢な大企業の社長が実は毎晩マゾヒストとして女王様のもとに通うという、漫画によくある題材と同じです。

 

 エプスタイン氏にまつわるこの事件を小児性愛の問題として扱うことは全くの誤りであると私は考えています。

ペドフィリアの長所は何か

 AIのGrokに、「ペドフィリアの長所は何ですか」と聞いた答えは以下の通りでした。

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 ペドフィリア小児性愛)には、長所というものは存在しません。

 

 ペドフィリアは、思春期前の子供(通常13歳以下)に対する持続的な性的魅力として、精神医学的にパラフィリア(性的嗜好障害)と分類されるものです(DSM-5やICD-11による)。これは本人の苦痛や行動化を伴う場合に障害として診断され、社会的・道徳的・法的観点から強く非難されるものです。

 

 主な理由は以下の通りです:


- **子供への深刻な害**: 行動化された場合(児童性的虐待)、子供に長期的な心理的トラウマ、うつ、PTSD、自殺リスクなどを引き起こします。多くの研究(例: Mayo Clinic Proceedings, Psychology Today)で、被害者の深刻な影響が確認されています。


- **同意の不可能性**: 子供は成熟した判断力がなく、真の同意ができません。これを無視した行為は強制であり、搾取です。


- **社会的・科学的コンセンサス**: 信頼できる科学的ソース(APA, WHO, Psychology Todayなど)では、ペドフィリアを「性的指向」として正当化する主張は明確に否定されており、障害として扱われています。一部で「生まれつきのもの」と議論されることがありますが、それは治療や予防の文脈であり、肯定的な「長所」を意味しません。

 

 一部の極端な主張(例: 過去の哲学者や活動家による年齢同意法の廃止論)がありますが、これらは広く批判され、子供の権利侵害として拒否されています。メディアや研究で「スティグマ低減」を議論するのは、行動化を防ぎ治療を促進するためで、ペドフィリア自体を肯定するものではありません。

 

 結論として、ペドフィリアは個人・社会・子供に害を及ぼすものであり、長所は一切ありません。行動化は犯罪であり、強く禁止されるべきです。もし本人が苦しんでいる場合、専門的な支援(例: ドイツの「Don’t Offend」プログラムのような予防プロジェクト)を求めることが重要です。

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 これはAIが考えたものではなく、情報収集した結果がまとめられたものですから、要するに世間がこう考えているということです。

 

 けれどもこの場では、ペドフィリアでありながら生き生きと生きられる方途がないかを考えていきます。これはAIにはまだ不可能なことなのでしょう。

 

レジェンド校長について

 「レジェンド校長」として、逮捕されながらも、却って有名になった人の話がありました。

 

 ウィキペディアによれば、「2015年に発覚した神奈川県横浜市立中学校元教諭による買春に係る事件。犯人の校長はフィリピンで延べ12,660人の女性を買春し、逮捕により撮影した写真147,600枚が押収された[1]。2015年12月に懲役2年、執行猶予4年の判決が確定。」です。

 

 同サイトによれば「これはフィリピンの児童の経済的苦境に乗じた犯行であり、少女の健全な成長に悪影響を及ぼすことが懸念されるとした。」

 とは言うものの、被害者である側から減刑を求める声が上がっていたり、そもそも、少女達への経済的支援の功績から、表彰される経緯があったところからの発覚という経緯があったという情報もあります。

 

 話を非常か単純化すると、売春行為を強いられていた環境にあった少女達に対し、彼は、その環境下にある彼女達が人間的に成長できる支援を行なったと言うことです。

 

 言い換えれば、彼以外の社会的正義や権力は、少女達に対し何もしなかったという事です。彼を責める人道的組織も例外ではありません。実際に彼女達に触れ、具体的な支援を行なっていなかったのですから。たとえ、売春組織を解体しても、そこ止まりになって、少女達がそうならざるを得なかった根本的な原因を解消できなかったかもしれません。

 

 こう考えると、少女への性行為などは、大きな視点から人生を眺めれば、実に些細なことであったとも言えるでしょう。売春がその環境での、その時代での避けられなかった境遇だったとするならば、そこにある人にはそこから何かを始めるしかありません。件の校長はそうしたのであり、だからこそ、当の「被害者」からの応援があるのに違いありません。

 

 彼の行いは法に抵触していたかもしれませんが、他の誰が彼ほどの人道的支援を子供達にしたと言えるのでしょうか。そうしてこなかった人間は、彼の行いを外から責め苛む権利があるのでしょうか。

 

 小児性愛者の傾向が、そのままもしも善に転換できる条件が揃うなら、その小児性愛者は、全てを捧げて善意に生きられることでしょう。

 

 時の善悪とは相対的なものなのであると思わされる事件でした。

笑いの効用

 10年以上前に、フーという奇声を発し、「ハードゲイだ」と、腰を前後に振りながら人前で自己主張するレーザーラモンHGさんが流行りました。最近また人気が高まっているようです。

 

 ここ数年来の、ポリコレと呼ぶのでしょうか、いわゆる性的マイノリティーを巡る社会的風潮の中で、ゲイを面白おかしく扱うことが憚られるようになりました。ゲイだけでは勿論ありません。性的な事について、被害者・加害者を問うのに敏感な空気が世間に漂うようになっています。

 

 そんな息苦しさの中で、変わらず自身を「ハードゲイ」の立場に置き、人を笑わせようとするレーザーラモンHGさんの行為には、清々しいものがあります。ゲイとは別の立場からゲイを笑うのでなく、ゲイの立場に立つ自分自身を笑わせるという点に、健康的な何かを感じさせられます。

 

 ソビエト連邦の時代、ロシアではアネクドートと呼ばれる風刺的小話が流行りました。それは、どうしようもない自分たちの生活や社会のあり方を、内側から笑いにしてしまうものでした。例えば、私の記憶しているもので、以下のような話があります。


教師: アメリカ資本主義はどのような状態か。

生徒: 資本主義は崖っぷちに立たされています。

教師: では、我々共産主義はどうか。

生徒: 共産主義は資本主義より一歩進んだ社会です。


 笑いは心の重さを軽くしてくれます。

 小児性愛については、どうも重い話しか見当たらないようですが、レーザーラモンHGさんのように、明るく自分たちを笑いの元として示していくと、何か良い事があるかもしれません。

 

AIに聞いてみました(その2)

質問: 小児性愛者は性的マイノリティですか。

回答:
「性的マイノリティ」という用語は、一般的に性的指向性自認が社会の主流から外れているグループを指すために使われます。しかし、小児性愛についてこの用語を適用することには多くの議論があります。


- **性的指向と倫理**: 小児性愛は、性的指向の一つとして見ることもできますが、未成年者に対する性的行為は法的に許されないため、倫理的・社会的問題と深く結びついています。性的指向があっても、それが他者に害を与える行為に結びつく場合は、単純に「マイノリティ」として扱うことは問題があります。


- **社会的受容**: 社会的には、小児性愛は広く受け入れられず、むしろ厳しく非難される傾向にあります。これは、小児性愛が未成年者の権利や安全を侵害する可能性があるためです。


- **法的側面**: 多くの国で、小児性愛に関する行為は犯罪とされており、法的な保護や支援の枠組みも異なります。性的マイノリティとしての認識や保護は、一般的なLGBTQ+コミュニティとは異なる扱いを受けることが多いです。


結論として、小児性愛を「性的マイノリティ」と呼ぶことは、倫理的な観点や法律的な観点から問題視される可能性が高いです。この議論は、性的指向の認識と、社会や法律がそれをどのように扱うべきかという複雑な問題に直面しています。

 

 

 性的マイノリティーかどうかは、それそのものからは認められず、社会や法律に照らし合わせて決められるという事のようですね。

XのAIに聞いてみたら

 GROKというX上のAIに、子供への性衝動をどうしたら良いかと聞いてみました。以下、回答です。

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子供への性衝動を持つことは非常に深刻な問題であり、適切な対応が必要です。以下はそのような状況で考慮すべきステップです:


1. **専門的な助けを求める**: 即座に精神保健の専門家(心理学者や精神科医)に相談することが重要です。専門家はあなたの衝動を管理するための戦略を提供し、治療を行うことができます。


2. **認知行動療法(CBT)**: これは、性的衝動を理解し、それに対処するための効果的な方法です。CBTは、衝動をコントロールし、適切な行動を促進するためのスキルを教えます。


3. **薬物療法**: 一部の人々にとって、性的衝動を抑制するための薬物療法が有効な場合があります。これは医師と相談して決定すべきです。


4. **再発防止プログラム**: これらのプログラムは、衝動を管理し、再犯を防ぐための長期的な支援を提供します。参加することで、自分自身を監視し、危険な状況を回避する方法を学ぶことができます。


5. **匿名性のサポートグループ**: Stop It Now!などの組織では、匿名で支援を受けることができます。これらのグループは、同じ問題を持つ他の人々と交流する機会を提供し、孤独感を減らすことができます。


6. **法律と倫理の理解**: 子供に対する性的行動は、ほとんどすべての国で違法であり、倫理的に受け入れられません。自分の行動が他者にどのような影響を及ぼすかを理解することが重要です。


7. **自己監視と安全ネットワークの構築**: 友人や家族に自分の状況を説明し、必要な時にサポートしてもらえるようにする。また、危険な行動を取る前に誰かに相談するというルールを作る。


重要なのは、衝動を実際の行動に移す前に専門的な助けを求めることです。これはあなた自身と、特に子供たちの安全のために絶対に必要です。もしこの問題を抱えているなら、即座に専門家に相談してください。

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 肯定的な面は何もなく、観点は「子供の安全」と衝動の抑制のみでした。当然、AIがものを考えて回答しているのではなく、ネット上の言説からまとめられたものですから、この観点が社会一般のものであるということです。

 継続して、質問していこうと思います。