小児性愛者(ロリコン、ペドフィリア)のために考える

小児性愛者(ロリコン、ペドフィリア)のためになることを考えていきます

レジェンド校長について

 「レジェンド校長」として、逮捕されながらも、却って有名になった人の話がありました。

 

 ウィキペディアによれば、「2015年に発覚した神奈川県横浜市立中学校元教諭による買春に係る事件。犯人の校長はフィリピンで延べ12,660人の女性を買春し、逮捕により撮影した写真147,600枚が押収された[1]。2015年12月に懲役2年、執行猶予4年の判決が確定。」です。

 

 同サイトによれば「これはフィリピンの児童の経済的苦境に乗じた犯行であり、少女の健全な成長に悪影響を及ぼすことが懸念されるとした。」

 とは言うものの、被害者である側から減刑を求める声が上がっていたり、そもそも、少女達への経済的支援の功績から、表彰される経緯があったところからの発覚という経緯があったという情報もあります。

 

 話を非常か単純化すると、売春行為を強いられていた環境にあった少女達に対し、彼は、その環境下にある彼女達が人間的に成長できる支援を行なったと言うことです。

 

 言い換えれば、彼以外の社会的正義や権力は、少女達に対し何もしなかったという事です。彼を責める人道的組織も例外ではありません。実際に彼女達に触れ、具体的な支援を行なっていなかったのですから。たとえ、売春組織を解体しても、そこ止まりになって、少女達がそうならざるを得なかった根本的な原因を解消できなかったかもしれません。

 

 こう考えると、少女への性行為などは、大きな視点から人生を眺めれば、実に些細なことであったとも言えるでしょう。売春がその環境での、その時代での避けられなかった境遇だったとするならば、そこにある人にはそこから何かを始めるしかありません。件の校長はそうしたのであり、だからこそ、当の「被害者」からの応援があるのに違いありません。

 

 彼の行いは法に抵触していたかもしれませんが、他の誰が彼ほどの人道的支援を子供達にしたと言えるのでしょうか。そうしてこなかった人間は、彼の行いを外から責め苛む権利があるのでしょうか。

 

 小児性愛者の傾向が、そのままもしも善に転換できる条件が揃うなら、その小児性愛者は、全てを捧げて善意に生きられることでしょう。

 

 時の善悪とは相対的なものなのであると思わされる事件でした。