性的な嗜好の特殊さは、何につけ気持ち悪がられるものです。
フェティシズムを例に取れば、女性の履いた靴を集めるとか、毛髪の収集をしているとか聞くだけで、人は嫌な顔をすることでしょう。
同性愛も気持ち悪がられ、ホモと言えば、揶揄の対象にもなります。
SMも然り、女装趣味や男装趣味も然りです。
歌舞伎や宝塚が際どい範囲で公に認められているのは、それに性的な嗜好のニュアンスが少ないからでしょう。それでもやはり、色モノ的な冗談の対象にはなることがあります。
ペドフィリアに関しては言うまでもありません。
ところで、なぜ性嗜好の特殊さは気持ち悪がられるのでしょうか。
同じ性嗜好を持つ者同士はそのようには感じないことを考えると、自分にない性嗜好に対して人は気持ち悪いと感じていることが分かります。
痴漢というのは、行為だけを見れば、特に変わった性嗜好ではないのに、それが気持ち悪く感じられるのは、対象とされた側にその気持ちがないからです。もしも被対象者が事を望んだなら、単なる性行為と変わらなくなります。
つまり、そもそも性的な感情や行動というものは、日常的ではない、何か日常にとっては場違いなものなのです。
道端で女性がオナニーをしていたら、特に具体的な相手はいない一人の行為なのに、不気味な事でしょう。
ペドフィリアの場合、大人の性欲を子供に向けるため、ペドフィリアの傾向を持たない人には勿論のこと、子供にとっても気持ち悪がられる訳です。
だから、ペドフィリアは、何とか「自然な」状況で、子供にもある性欲を引き出し、それを自分の大人の性欲に結び付けようと苦心します。
ペドフィリアを取り扱う作品では、その過程が特別工夫されることになるか、実在しないような、大人と同じ形の性を求める子供が最初から設定されていたりします。
ただ、子供が思春期に入った年齢だったなら、子供の方から大人を誘惑したり、子供に体を触られたりすることは充分にあり得ることです。
小学生同士の性交による妊娠事例も存在することでしょう。
大人と子供とが互いに性行為を望んでしまえば、それは当事者にとって気持ち悪いものではなくなります。
子供にとって、その経験が何らの否定的影響を与えない可能性もあります。