小児性愛者(ロリコン、ペドフィリア)のために考える

小児性愛者(ロリコン、ペドフィリア)のためになることを考えていきます

他人の体液がなぜ欲しい?

 ヨーロッパでは、お乳の出ないお母さんが赤ちゃんを育てるのに、牛乳ではなく、他人の母乳を貰ってそれを与えることを、所によってはしているそうです。

 

 日本にも、乳母という人がいました。

 

 他人の体液に触れたり、口に入れたりすることと、これは全く同じですが、感覚的に抵抗はないのかと思うことがあります。

 

 子供の中には、人が口をつけた食べ物を食べたがらなかったり、人が使った箸でものを食べたがらなかったりする子が結構います。

 

 他方、動物の食べた物を食べてしまうと言うか、自分が食べながら、時々それを犬や鳥や猫に同じスプーンなどで食べさせて平気な人も沢山います。

 

 これらの心理をどう解釈すべきでしょうか。

 

 世間には、他人の体液の付いた下着等を欲しがる人がおり、それがビジネスにもなっています。

 

 唾液あり、腋臭あり、靴下あり、糞尿ありと、何でも構わない勢いです。

 

 一般的には、これらの付着した衣類は汚れ物であり、洗濯か廃棄かの対象ですが、全く同じ物が商品として高価に売られている状況を、どう解釈したら良いのでしょうか。

 

 どうせ廃棄するなら、無料で配布でもすれば、金銭的に助かる人がいる理屈です。しかも、そのような物は無数に毎日出てくるに違いありません。

 

 ペドフィリアらしい教員が、児童の上履きのにおいを嗅いで逮捕される事件などがありますが、ばかばかしい話だと感じます。

 

 背徳感そのものに興奮するような、一種「高尚な」趣味のある人を除けば、体液も糞尿も欲しくて堪らない人達がそういう商品を購入している筈です。

 

 小児性愛者にとっては、子どもの体液が手に入るかどうかなど、人生の一大事でさえあるでしょう。

 

 例えば、女子中学生が、自分の汚れた下着を販売して、誰か大人がそれを購入した場合、大人は罰せられます。買春に通じる行為だとして、子どもを守る視点から、そのような処罰が設けられている訳です。

 

 けれども無料で与えたなら問題はありません。ましてや、捨てた物であれば、それがその後どうなるのかなど、普通は関心事に当たらない事です。

 

 オランダでは、麻薬中毒者たちに、行政が麻薬や注射器を配布する取り組みがあるそうです。それによって、エイズの感染や反社会組織の活動を抑える効果を狙っているそうです。

 

 同様に、子どもに不要となった汚れた衣類等を廃品回収して、小児性愛者に配布することは、犯罪の抑止効果があるかもしれません。

 

 全国の小学校の女子トイレに出された一日分の尿など、何リットルになるか分かりませんが、こんな物も、全国の、女子対象の小児性愛者たちに配れば、残らず消費されてしまうのではないでしょうか。

 

 考え方によっては、母乳を他人に与える事とこれは変わらないのではないかと思います。

 

 人間は嫌な物事にもいつかは慣れ、好きな事にもやがて飽きが来ます。もし、今、子どもの尿や体臭が欲しくて苦しんでいる小児性愛者がいても、それらが有り余るほど毎日手に入るのであれば、遠からずそれから離れたくなる事でしょう。

 

 脳に変化をもたらす薬物中毒と、ペドフィリアの性欲とは、この点、異なるものと思われます。そのまま子どもの体が嫌になってしまうこともあり得るでしょう。

 

 話を戻しますと、通常、人は他人の体液に嫌悪感を催します。輸血や内臓移植も同じ事ですが、あまり意識されないのは、これらが目には見えない、もしくは通常の触れ方と極めて異なる条件で発生するため、「実感が湧かない」のだと思われます。

 

 母親が自分の子どもの唾液や糞尿に平気で触れるのは、強い共感があるからです。

 

 しかし、人は他人に必ずしも共感を覚えるとは限りません。他人の体液に嫌悪感を覚えること自体、反感の表れです。そういう反感を保ちつつ過ごす状態が、日常生活なのだと言えるでしょう。

 

 ところが、性欲として、人は、普通は異性ですが、他人に強い共感を持ってもいます。性欲は他人に対する強い共感です。それで、汚物までもに価値があるものとされる事になります。

 

 特別の関係を結んだ相手とは、性欲で体液を交換し合います。全身で互いに共感を表し合います。

 

 これは非日常的な行為です。

 

 特別でない他人の体液を欲しがることは、反感を保ちつつ営まれている日常生活の了解事項から逸脱する行為です。だから、そう言う行為や人は、気持ち悪いのです。

 

 まして、体液等の販売は、本来なら相手に向けられるべき共感を、相手の本体を除いた粕にのみ向けさせながら、対価を払わせる行いです。

 

 それは一種の「騙し」に似た行為だと言えます。そう考えると、「売る側」に非があると言わざるを得ません。

 

 いろいろと書きましたが、小児性愛者は、その共感の向けどころが相手から受け入れられず、社会からは禁止されている存在であるという事は認識しておきたいものです。