「小児性愛は依存症の一種。誰でもなりうる」…医師が語る加害者治療【こども・若者の性被害をなくそう】(日テレNEWS)
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上記の記事が2023年8月1日付けでありました。この主張をまとめると、小児性愛については
①してはいけない事だと自覚させる。
②再発の危険は常にあるため、一生治療が必要。
③依存症の一つであり、誰でもなり得る。
という事です。
①は、認知行動療法がやはり中心となり、特に、子供への罪悪感を増すのが良いとのこと。
記事文中にありますが、ここでは性嗜好障害として、窃視症や窃触症、下着泥棒などと小児性愛を同列に並べて見ています。
どのように事例を抽象化してグループ分けするかということは、実は恣意的な話です。「性嗜好」とは好みの話です。同性愛者は、自分達はそこには当てはまらないと主張し、自分達は「性対象」が異性でないだけだと言います。確かに、下着などに固執することと、恋愛対象として同性しか求めないというのとは、生物というか生命活動的なレベルにおいて異なる気がします。下着など無くても本質的に困ったりしないでしょう。
しかし、小児性愛は思春期から現れるものであり、「趣味」の問題では絶対になく、恋愛対象の話に異なりません。そうすると、同性愛と何が違うのかと問いたくなります。
昨今では、同性愛は異常ではないという見解が普及してきているようですが、もしも生物に「異常」という状態をあらゆるレベルで認めないと考える時にのみ、その見解は成立するでしょう。つまり、奇形や先天的な疾患も、進化の過程で現れる突然変異の一つの形態だと捉えるという事です。
ここまで抽象化すると、治療という概念は、何かを他の形に変えることとなり、字面とまるで変わった意味になります。
正常という観念が、本当にマジョリティーのことだけを表すものなのかは考える必要があると思います。
但し、それを特定することは学問的に困難であるため、一般的な基礎医学では統計から基準値を出し、精神医学では「困り感の有無」を基準としています。
他方、③では、依存症の括りに小児性愛を含めています。しかし、本当に、例えばパチンコ依存やアルコール依存のように、誰でも小児性愛になるのでしょうか。セックス依存症というのは存在しますが、それは、自分の抱える苦しみを忘れさせてくれるような悦びがセックスによって得られるからです。子供の性器や裸に最初からそのような悦びを感じないのであれば、誰が依存症としての小児性愛に至ることでしょうか。私は以前、小児性愛に対して子供依存症という言葉を使いましたが、結果としての依存症なのであって、そもそも初めにあるのは子供を求める気持ちです。
要するに、小児性愛には、性嗜好障害と同列の部分も、依存症と同列の部分もありながら、独特なものであるということです。
①は特定の思想に順応させる行為のように思えますし、②も、他者から与えられるとすれば非常に酷だと言わざるを得ません。