人生は苦しいもの
厚生労働省により令和4年6月9日に行われた「第13回 地域で安心して暮らせる精神保健医療福祉体制の実現に向けた検討会」の参考資料によると、精神疾患を有する患者数は、平成29年の段階で、419万3千人だそうです。
これは、精神科を受診したり、入院したりした人の数ですから、実際には、精神疾患を有している人はもっと沢山いるはずです。
しかし、精神疾患なのかそうでないのかという点は、現代では区別が微妙なところです。「困り感」や「日常生活への影響」が、医学的に健康かどうかの基準だとされる程ですし、薬も簡単に処方されるようになりました。医師の診断書によって職場の労働環境が変わるとすれば、それを用いるために受診するという自己申告制のような面もあると言えそうです。
人生とは儘ならぬ辛いものなのだということを忘れていた近代人は、精神疾患の事例から、それを再認識した方が良いのではないでしょうか。近現代社会のストレスや孤独のせいで精神疾患が増えたのではなく、生きることそのものが既に精神疾患に繋がっているのであり、現代は医療側の敷居が低くなっただけなのだと思うのです。そしてそれと同時に、疾患の種類が爆発的に増加しました。実際、何度も触れてきたDSMを見ていると、人間は全員どこかおかしいのではないかと思えてきます。
ところで、小児性愛は小児性愛障害と呼ばれるように、単に子供を性的な恋愛対象にするだけでなく、そこに気持ちが固着し、性的欲望に囚われて苦しむという特徴があります。だからこそ犯罪的行為や虐待を行い易く、また繰り返しやすいわけです。
現在、DSMでは同性愛は精神疾患の項目から外されていますが、果たして同性愛者の精神は安定しており、過剰な性的欲望に悩まされずにいるのでしょうか。
10年以上も前のこと、私が宿泊施設付きのサウナに泊まったとき、いわゆる雑魚寝用の広い部屋の壁に「ホモ行為禁止」と張り紙がしてあったのを覚えています。男女間では公共の場でそのような事が起こるとは滅多に考えられないのではと思います。冗談で貼ってあるようには見えませんでしたから、寝るに当たっては周囲が気になって仕方ありませんでした。この事例に鑑みても、同性愛者が精神疾患の範疇に本当に入らないかどうか、訝しく思うものです。
世間では、同性愛者としてカミングアウトし、苦しかった過去の経験を訴えながら、性の多様性の権利を主張することが、珍しくなくなってきています。けれども、小児性愛者は同様に苦しかろうとも、カミングアウトやそういう主張はできないのです。すること自体、同性愛者よりリスクが高く、また、対象である子供の協力を全く欠いた虚しい主張に終わるだけです。「少数派」からも同類だと認知されません。小児性愛者からすると、同性愛者の振る舞いは、随分自己本位なものに見える筈です。また、小児性愛の性質上、LGBTの社会的地位が向上したとしても、小児性愛に益は全くないでしょう。特定の部類を排除しながら、マイノリティーだなどとLGBTが自分達を堂々と主張するのを聞くにつけ、どうにも腑に落ちない感を拭えません。
いっそのこと、仏教のように、世の中は一切皆苦なのであり、人はみな区別なく煩悩具足の凡夫なのだと言われるほうが、あっさりして良いのではないかと思います。しかも、そこには誰もが苦から解放されるべき道があると言うのです。