小児性愛者(ロリコン、ペドフィリア)のために考える

小児性愛者(ロリコン、ペドフィリア)のためになることを考えていきます

自分が小児性愛者だったと考えると

 小児性愛者が何に苦しむのかという点を整理しておこうと思います。

 

 子供との性的な接触ができないことが苦痛であるのは言うまでもありません。けれども、それを成し遂げることで、苦痛がなくなるかどうかは分かりません。

 

 渇望を満たすために、小児性愛者は子供の画像や動画、ヌード、身につけている物などを、機会があれば手に入れようとします。この行動もまた、変質者的なものとして、他者に嫌われるのは勿論、自身でも嫌悪しつつ、他者への暴露を恐れます。

 

 そもそも、小児性愛という性向は、他人には告げづらいものです。この性向に対し、世間一般では敵意に満ちているので、それが人に知られると、全人格を否定されるのではないかという恐れがあります。小児性愛者同士が会うことも滅多にありません。コミュニティーが作られることもありますが、ネット上にサイトを作れば、攻撃されたり削除されたりする可能性が極めて高く、互いの個人情報を知らせ合えば、足が付く危険もあります。

 

 そして、自身の欲求が公に満たされることはないのだという絶望感があります。恋愛も許されない境遇であると日々、突きつけられ続けます。

 

 自分が小児性愛者であると自覚できるようになるのは、高校生の年代からです。倫理的な感覚に敏感な人の場合、自分が小児性愛という「悪」の性向を持っていることに、苦しむことになります。

 

 これらと相俟って、不安感、他者への不信感、孤独感、無力感、引いては、対人関係の問題、鬱にも繋がるわけですが、具体的な加虐の立場にもなる危険が常にあります。

 

 ただし、小児性愛者は、他の精神的な疾患等を併せて持つことが多いとされており、主訴が小児性愛であるというだけなのかも知れません。

 

 DSMの、「強烈な性的に興奮する空想、性的衝動、または行動が反復する」「その性的衝動や空想のために、著しい苦痛または対人関係上の困難が生じている」という分類基準を見ても、これは依存症に似ています。つまり、原因は性欲とは別のところにありそうです。しかし、小児性愛という性向そのものがまた、アルコールその他の依存症を引き起こすことも考えられます。

 

 もし、小児性愛という性向が自分にあることに気付いたとしたら、皆さんはどうなさいますか。