小児性愛者(ロリコン、ペドフィリア)のために考える

小児性愛者(ロリコン、ペドフィリア)のためになることを考えていきます

ペドフィリアは異なる原因から現れた「熱」のような症状なのか

 「ロリコンでよかった」という歌があります。内容は、子供のような体型の大人の女性が、自分の恋人がロリコンであることに安心するというものです。
https://youtu.be/H-1gp6N5rlU


 これは一つの誤解であり、子供に見える大人ならペドフィリアは受け入れるというものです。しかし、ナボコフの『ロリータ』を例に取れば、ペドフィリアが求めるのは少女という年齢の魂の質であり、またそれに見合った体格です。


 子供に似た大人ではだめだということです。


 文学作品をもとに考察などできないと言えるかも知れませんが、あの緻密な描写は類を見ないものであり、単なる想像とは思えません。


 どうも、ペドフィリアのタイプには2つあるらしく、一つは6歳くらいに惹かれるもの、もう一つは11歳くらいに惹かれるものです。これらから、巷では、ハイジコンプレックスとか、アリスコンプレックスとかいう細分化が広まっているようです。


 後者のタイプを取り上げてみても、その対象年齢の少女は、成人女性の体格とはやはり大きな差があると言わざるを得ません。モデルのような体型とも異なります。似ているものが他にあるとすれば、アニメでしょう。 


 ペドフィリアは性向ではなく、フェティシズムの一つだと、攻撃的に書いているLGBT関係のブログを読みましたが、体格に関してのこだわりは確かにありそうです。


 広く人口に膾炙する別の誤解に、ペドフィリアは、子供が自分より弱いから相手にしているというものがあります。あまりにも単純な考えです。これでは、体格へのこだわりを全く説明できません。


 ペドフィリアのほとんどはサディストだと書いている医者もいます。


 もしかしたら、考えられるどんなタイプも存在し、その傾向の一面として、子供に性的に偏執することがあるのかも知れません。


 そうだとすると、ペドフィリアという概念自体に内容がなくなります。


 アンソニー=ストーは『性の逸脱』の中で、性的な逸脱を、人格の未熟さと一纏めに捉えています。『人格の成熟』という関連した著作もあります。そのように考えれば、さまざまな逸脱の複合的なあり方にも説明が付きます。

 

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 ただ、ここでは、DSMにあるような、レズビアンホモセクシャルに比せられる小児性愛を中心に取り扱っていきます。