小児性愛者(ロリコン、ペドフィリア)のために考える

小児性愛者(ロリコン、ペドフィリア)のためになることを考えていきます

児童ポルノと子供の裸

 中高生の頃を思い出してみると、学校や教員のさまざまな印象が浮かんできます。

 

 学園ドラマでも何でも良いのですが、それらに描かれることは、大抵が生徒からの視点によるものです。

 

 校則のこういう点がおかしい、教員からこんな酷い目に合わされたという題材は枚挙に暇がありません。

 

 会社に入っても、上司や仕事の理不尽な点に目を向ける時、それは生徒の立場に似ていると言えるでしょう。

 

 その感覚が幾許かでも変わるのは、人の上に立ち、部下を持つようになった時でしょうが、運営者や経営者にまでなって初めて、本当に逆の立場は分かるものです。

 

 組織が壊れないように管理し、発展させていく責任が、運営者にはあります。そして、あまりにも組織の方に目を向けて、万が一の危険な事態も起こらぬように配慮するなら、恐ろしい管理体制が出来上がります。リスクに対する不安をもとに体制を組んでいくと、そのようになりがちです。

 

 一方、組織や社会の構成者は、運営側に任せきりにしないで、自分たちもリスクを引き受けるような気持ちが大切だと私は思います。

 

 その意味で、最近良く言われる「強いリーダーシップを求める」というのは、「権力者」と「大衆」の分離を助長するような危険な考え方に思われます。

 

 さて、いわゆる児童ポルノについて、上記の流れを当てはめて考えてみます。

 

 管理者側は行政という事になり、平和で安全な社会を守る責任上、児童ポルノを取り締まる立場に立たざるを得ません。

 

 意図するところは、子供の人権を守る、子供が危険に巻き込まれない社会を作る、犯罪の発生を未然に防ぐ、青少年の健全な育成を阻害しない、などです。

 

 問題になるのは、その適用範囲です。

 

 内閣府による「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律 の一部を改正する法律案要綱」によると、児童ポルノとは

「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態 であって、殊更に児童の性的な部位(性器等若しくはその周辺部、臀(でん) 部又は胸部をいう。)が露出され又は強調されているものであり、かつ、性欲 を興奮させ又は刺激するもの」

という事です。

 

 法律自体を批判したり、表現の自由について論じたりすることは、ここでの本題ではありません。

 

 しかしながら、どこまで何を規制するのかという話は、管理者の危機意識次第です。そこには普通、小児性愛者の立場の入り込む余地はありません。

 

 そして、子供を守る、という観点からは、勢い、感情的に、万が一のリスクも逃さないような管理体制を敷く方向に向かいがちです。

 

 行政の立場にない人々も、ペドフィリアの人間をただ排除しようとするのでない考え方に立てないものでしょうか。

 

 犯罪云々ということを置いておくなら、男子が女子の体を見たいと思うのは自然なことですし、女子のほうでも男子の体に興味があって自然です。

 

 分かりやすく、異性愛の男性の立場で描写しますが、女の子の性器を一度も見たことがないから見てみたい、女子の乳房がどのように発達していくのか知りたい、女子がどのように排泄するのか知りたい、出産する様子が見たいなどという関心は、あって当然です。

 

 出産については、大分世の中は開放的になってきているとしても、これらの性的な関心に答える場はどこにあるのでしょうか。これらの関心に、全く答えが与えられない社会は正常で健康なのでしょうか。

 

 男女の子供同士が互いの性器を見せ合うことは禁じられるのかどうか私は知りません。けれども、それを大人としたらいけないという事にはなっているようです。

 

 親戚の大学生のお兄さんと小学生の女の子が一緒に風呂に入り、互いの体を見せて触り合うということを、互いが嫌がらずにしたとしても、それが外部に露見したら、犯罪に数えられそうです。

 

 後年、女の子のほうが「あの時は本当は嫌だった」と言えば、犯罪と捉えられますし、「認知の歪み」を大学生には当てはめられるかも知れません。

 

 繰り返しますが、大人と子供が、程度の差はあれ性的な関わりを持つことに社会が敏感なのは、子供が大人に利用されて、子供の人権侵害に結びつく危険が高いからです。

 

 しかし例えば、医学的な資料として、上記の「性的な関心」の内容を映像化したものならば、人権侵害にはならず、法的に許されることでしょう。

 

 そういう物は、小児性愛者のためにあっても良いと思うのです。

 

 その資料を小児性愛者は性的興奮のために使うに違いありませんが、それはその人の勝手です。子供に対する犯罪の発生する可能性は、その資料がある場合と無い場合とで、どれほど違うでしょうか。性的関心に答えてくれる物が全く無い場合の飢餓感こそ、犯罪を産むきっかけにならないでしょうか。

 

 ちなみに、ヌーディストたちの写真に子供が含まれていた場合も、日本ではそれはポルノとして規制されます。しかし、そういう処置は当のヌーディストらの人権侵害にならないのかと思ったりもします。

 

 子供を守ることについても、法制化に向かうのでなく、倫理的な自治体のような地域社会ができないものかと考えます。


 なお、表現の自由に関しては、漫画家の赤松健さんが、自身のサイトで熱心に論じられています。

児ポ法 - 赤松健 - 公式サイト