小児性愛者(ロリコン、ペドフィリア)のために考える

小児性愛者(ロリコン、ペドフィリア)のためになることを考えていきます

体から心が変わる

 野口整体創始者である野口晴哉氏が、次のような事を書いていました。

 

 やるまいと思ってもやってしまったり、やろうとしてもできなかったりするのは、心の問題でなく、大体は体の調子に左右されているのだと。

 

 文言はかなりうろ覚えですが、意味内容はこんな感じでした。

 

 これは、肉体と精神とを別にして、精神的な辛さには思考や認識にアプローチするという考え方とも違いますし、精神は肉体の脳の機能であり、感情も特定の物質の加減に左右されるとして、薬物の投与を行う考え方とも異なります。

 

 春木豊氏の『動きが心をつくる──身体心理学への招待 』(講談社現代新書、2011年)には、姿勢や動きによって気分が変化することが書かれています。全身が心と連動している訳です。

 

 映画「マトリックス」や、漫画の『ドラえもん』にもあったと記憶していますが、脳に情報をインプットすれば、どんな行動でも可能になるという考え方があります。

 

 人間の行動も随分と抽象化されたものだと、そういう考え方に触れると感じます。

 

 例えば、空手の達人の持つ脳の構造を、誰か普通の人にコピーできたとしても、その人は達人ではあり得ないでしょう。

 

 体がついていかないからです。動こうとしても、そのための筋肉がなくては思う通りに動けませんし、煉瓦を割るにはそれに耐えられる鍛えた骨が必要です。

 

 パタンジャリの『ヨーガ・スートラ』には、ヨーガの目的は心の働きを滅することであるとあります。ヨーガのポーズもその為にあるのだということでしょう。ポーズにより、馬に喩えられる心の働きが制御できるようになるのでしょう。

 

 数学や音楽の才能も、どこかの器官に関わっているのかも知れません。

 

 冒頭の野口晴哉氏の言葉に照らし合わせてみると、体のどこかの器官や感覚が未発達だった場合、心にもその影響が及ぶということになります。

 

 未発達の質にもいろいろあり、嬰児の頃になくなるべき原始反射が残っているような場合、解剖学的には何も分からないでしょうが、未発達だと言えます。

 

 体躯が大きく、筋骨隆々とした健康な男性が、肉体的に未発達な点を残している事もあるのです。

 

 ペドフィリアは、未熟な子供の姿形と心とを渇望する点で、明らかに未発達な心理を窺うことができます。

 

 それがどうにも抑えきれないような、性的な衝動としてあるということは、これもやはり精神ではなく肉体的な未発達さを表しているのではないでしょうか。

 

 そしてそれは、生殖器ではないと思われます。ただ、生殖器の発達する思春期から、ペドフィリアの発現することも確かです。

 

 いずれにせよ、小児性愛者の生殖器を切断したり、萎縮させて性欲減退を図るような方法は、本来なら発達することで健常者になる筈の機会を奪うに過ぎません。

 

 この観点での研究が為されているとは思えませんが、バランス良く全身を発達させる事ができるなら、結果として小児性愛寛解する可能性があるかも知れません。