小児性愛者(ロリコン、ペドフィリア)のために考える

小児性愛者(ロリコン、ペドフィリア)のためになることを考えていきます

普遍人類愛

 生物学的には、多様性があるほうが生き残るのに都合が良いとされています。生物多様性という言葉が流行っていますが、これには、種の多様性と、同一種内の遺伝子の多様性、そして、環境との関わり方である生態系の多様性があります。

 

 この生態系というのも、今どきの流行り言葉でしょう。

 

 人類だけに話を限ると、一種類しか生物としてはいませんから、絶滅危惧種のようなものです。

 

 環境との関わり方は複雑多岐に渡っています。

 

 そこで、遺伝子の多様性ということが重要であると思われます。

 

 人類は一種類が世界中に分布しているので、多様性を保つことは案外簡単だと考えられます。

 

 つまり、混血を進めれば良いのです。

 

 ヒットラーが考えていたような、特定の純血の一族などは、遺伝子の多様性に貧しく、疾病に弱かったり、その他の遺伝的な脆弱性が拡大してしまう危険を孕むものです。

 

 むしろ、なるべく遠縁の人種と混血を進めれば、血統が強くなります。

 

 民族のアイデンティティーは人種とは別の概念ですから、姿形がまるで変わってしまっても、伝統を受け継ぎ、言語や文化を発展させていくことは可能です。

 

 つまり、外見がたとえアフリカ人に見えたとしても、日本は日本であり得るのです。もちろん、混血する相手側の事情がありますから、文化は幾らか変化を被るのは仕方ありません。

 

 さて、子供の身体と心を求めるのに必死でいる小児性愛者にとっては、人種や民族の違いなど、二次的なことに過ぎません。何はともあれ子供に触れたいのです。

 

 東南アジアへの、日本人の悪名高い「児童買春ツアー」がありましたが、行なっていたのは日本人だけではなく、西洋人もいたのです。

 

 児童ポルノの類には国境など存在しません。極端なことを言えば、ペドフィリアは普遍的な人類愛を既に知っているのだと言えます。

 

 アジア人にもアフリカ人にもヨーロッパに人もアボリジニーにも等しく「子供」を見出して、愛し、性欲を抱きます。

 

 普遍的人類愛は倫理的な話ではなく、既に存在する事実だということが証明されたようなものです。

 

 人種差別や民族差別は、小児性愛者にとっては根拠のない偏見に思われます。

 

 もしも、ペドフィリアでさえなかったなら、彼らは率先して世界の混血を促進していくことでしょう。

 

 但し、世界平和や人類の繁栄のために混血しようというのは、優生学的な考え方でもあり、あまりにも人工的です。

 

 ペドフィリアが子供を求めるのは性欲と何らかのコンプレックスによるものですし、現代において、他国との人的交流や文化・文明の交流は経済的な動きによるものがほとんどです。どちらも半ば強制的なものだと言えるでしょう。

 

 人間の自由意志とは異なる何かにより、世界や時代が動いているようにも見えます。

 

 民族間、国家間での人的交流が盛んになれば、軋轢もまた増加することが予想されます。

 

 しかし、ペドフィリアは、子供に対する当然の普遍的性欲を、真の普遍的人類愛に昇華して、草の根レベルで平和に貢献できるのではないかと思います。