おかしな問いを出してみます。小児性愛者に人種差別主義者はどのくらいいるのでしょうか。
もしかして、相手が子どもであれば、人種も民族もどうでも良いのではないでしょうか。
過去に発売されていた日本の少女愛系の雑誌等を探ってみると、少なくとも、フィリピンやヨーロッパの少女はたくさんモデルにされていたことが分かります。また、西洋でも、アジア系の少女が対象とされていたようです。
アフリカ系が見られないのは、単に近くにいなかったからではないかと私は想像します。少年愛のほうは、よく分かりません。
悪名高い「買春ツアー」というのが日本人によって、主に東南アジアで行われていましたが、ここでは、その人権問題には立ち入らず、ペドフィリアの嗜好のみをテーマとします。
アフリカ系やインド系、はたまたアボリジニーの少女であったとしても、その子が美しく、その子と関係が持てるとしたなら、ペドフィリアは喜んで相手にするに違いありません。
普段は何かしらの人種や民族差別を傾向として持つ小児性愛者でも、相手が子どもなら、愛さざるを得ないのでしょう。そうでなければ、外国の少女の写真集にニーズがあった訳が理解できません。
人種より、子どもであるという点が大切なのです。
仮に、共産主義を嫌悪している小児性愛者がいたとして、その人が、中国人の子どもだったら自分は抱かない、などとは言わないでしょう。
ペドフィリアの欲求は、思想を簡単に凌駕するほど強く深刻なものです。
これは、ある意味では動物的だと言えます。また反対に、思想とはその程度のものなのだとも言えます。
しかし、その傾向を意図的に利用して、自分を高めていくことも人間には可能です。
愛欲も関心の一つであり、そこを基に更なる関心が広がります。例えば、相手の子どもの言語や文化、民族の歴史に興味を広げていけます。気持ちが強ければ強いほど、継続性もあるでしょう。いつかはその国へ行きたい気持ちを抑えられなくなっても自然な事です。
国際的な感覚を持つきっかけをペドフィリアは持っているのだと思うと、少しは明るい気持ちになれるのではないでしょうか。