最近、旧Twitter上で、「ペドフィリア差別に反対します」「ペドフィリア擁護に反対します」というタグが物議を醸したようです。
あくまでも旧Twitter上での事なので、大したことではないとも言えるでしょう。
ただ、世間一般に話が広がったとしても、注目度や理解度などから、同じような反応の結果になるだろうとは予想できます。
特に後者に関して、コメントでは、かつて同性愛などに向けられていた差別的表現がペドフィリアにはまかり通っているという指摘があります。
同性愛に比べ、ペドフィリアは対象が子供である分、批判者は感情的になる傾向が強くなる。それは理解できる事です。
但し、当の小児性愛者にとっては、差別されようが擁護されようが、どうでもいい事なのだと言えるでしょう。
子供に認められて愛されさえするなら、他は全く無意味だからです。
小児性愛者のコミュニティーなど、ほぼ無意味なものです。そこに価値があるとすれば、この苦しみを背負う人間が自分だけではないという慰めです。
しかし、傷を舐めあっても先には進めません。子供に認めてもらうのでなければ。