小児性愛者(ロリコン、ペドフィリア)のために考える

小児性愛者(ロリコン、ペドフィリア)のためになることを考えていきます

向上しよう!

 「ありのまま」というのは、現代では持てはやされる言葉の一つです。それは、他者に合わせるのでなく、自分自身として世界に向き合いたいという、個性の尊重と個人の自由を求める感覚に通じるからでしょう。

 

 ただ、この言葉は別段新しいものでもなんでもないどころか、禅仏教ではその目指す所そのものとして言われ続けてきたことですし、その源流であるインドの諸宗教でも同様でした。「汝自身を知れ」という言葉が古代ギリシャにもありました。

 

 けれども、現代の「ありのまま」のニュアンスに、どこか怠惰な安楽さを感じるのは私だけでしょうか。

 

 宗教的な「ありのままを認める」態度には、謬見や認識の甘さを排除して、真実に迫ろうとする目的がありました。認識が変われば世界の見方も変わります。自分をその中に含む世界の見方が変われば、自分の行動もあり方も変化します。

 

 ところが、現代のそれには、真理も何もなく、自分を何ら否定されずに現状をただ受け入れられたい意味合いでの「ありのまま」のようです。

 

 そして、それは、受け入れられない状態を変えて欲しいと周囲に求めているわけですから、他者に対しては変化を求めていることになります。都合の良い話ではないでしょうか。

 

 パーソナリティー障害や統合失調症が「ありのまま」では困ります。

 

 小児性愛者も、子供とセックスしたいなどと考えてばかりいて、その機会を狙っていたり、児童ポルノをネット上に求めていたりするのでは困るのです。困るのは、本人と対象者と社会全部です。

 

 マイク=タイソンは、幼い頃は犯罪者になるだろうと周りから言われていたそうですが、ボクシングに取り組むことで、その攻撃性を昇華し、世界チャンピオンになりました。

 

 そのように、小児性愛者も、その特性を否定するのでなく、より良く活かす方途を考えることができるはずです。