小児性愛者(ロリコン、ペドフィリア)のために考える

小児性愛者(ロリコン、ペドフィリア)のためになることを考えていきます

純粋に子供を喜ばせよう

 小児性愛者は子供が好きです。その心のありようも、姿形も大好きです。

 

 それは、昆虫採集や切手収集のような気持ちであるかも知れません。そう考えると、とてもエゴイスティックな感じを受けますが、「好き」と「愛情」と「無私の愛」とは、それぞれ別のものだとは言い切れないでしょう。

 

 よく、愛の反対は憎しみではなく無関心である、ということを耳にします。確かに、関心を持つという点では、愛情も憎しみも、ひたすら相手のことを思うのは同じことです。それは相手への意識と関わりを持たせますが、無関心では何も起こりません。

 

 憎しみと愛情が、その方向性を正反対にしているのに対して、上記の三つには「好きだ」という感情が共通しています。

 

 無欲を目指す仏教には、悟りを開こうとすることは果たして欲望ではないのか、との疑問がありました。しかし、そもそも、そういう思いがなかったなら、悟りに到達できません。法華経では、よく「方便」の話が出てきます。どんな欲望にもまずは寄り添って、そこを足掛かりとして善なり無欲なりの方向へ導いていく。それが仏のやり方だと言います。

 

 「好き」から「無私の愛」に変化させていくのです。

 

 小児性愛者は、「好き」の段階でどうしても止まってしまいがちです。その理由は前の方の記事に書きました。それを、自分で「無私の愛」に近づけてみてはどうでしょうか。

 

 子供が喜ぶことを積極的にするよう、心がけてみませんか。