小児性愛者(ロリコン、ペドフィリア)のために考える

小児性愛者(ロリコン、ペドフィリア)のためになることを考えていきます

成功体験は自己肯定感に繋がらない

 よく、幼い頃から成功体験が無いために、自己肯定感や自信がないのだという話を耳にします。

 

 しかし、成功体験とは、何に対してのどのような体験なのでしょうか。大まかに、何か行った事を他者から肯定的に評価される体験のことでしょうか。

 

 確かに、縄跳びがうまかったり、絵を描くのがうまかったり、料理を褒められたりすれば、それについては、ある程度自信を持つことができるようになります。ある程度というのは、今度は同じ分野で他者と比較するなら、却って自信を無くすことにもなりかねないからです。

 

 それにしても、特定の分野での自信は、その分野だけに有効でしょうし、どの分野においても人から褒められるというわけには行きません。

 

 人生全般に渡るような自己肯定感は、易々と身につくものではないのだと私には思えます。

 

 むしろ、問題となるのは、肯定感が無い点ではなく、自己否定感があることなのではないでしょうか。

 

 自己否定感には、劣等感、疎外感、孤独感等、さまざま該当するものがあります。

 

 実は、これらは、深刻に捉えないでいることができれば、大抵やり過ごすことが可能なのではないかと思います。

 

 これは自分にはできないし、別に親友がいなくても構わないと、きっぱり諦められるなら、楽になります。

 ペドフィリアの場合、自分の存在そのものに対する自己否定感が強くあります。しかも、大人を愛せなくても別に構わないと諦めれば良いのではなく、子供への激しい嗜好性が問題なので、苦しいのです。

 

 自分の能力のなさを、謂わば消極的に容認するのではなく、立ち昇る欲求をどうするかという積極的な解決が必要になります。

 

 その欲求に従って行動することで、成功体験に繋がり、ある種の自信を持つこともあり得ます。例えば、子供を誘い、子供と性的な交わりを持つ手段に長けていく場合です。

 

 しかしこれは、自己肯定感には繋がりません。人から評価されたり承認されたりしない悪事だからです。

 

 している事も、アルコール中毒患者の前に酒瓶を並べる行為にも似ており、とても自己肯定感などには至らないでしょう。

 

 自己否定感の中で立ち昇る欲求に耐えなければならず、それを抑えたとしても我慢するのみで何も変わらない。欲求に身を任せてそれを叶えても自己肯定感には繋がらない。そういう構図です。