小児性愛者(ロリコン、ペドフィリア)のために考える

小児性愛者(ロリコン、ペドフィリア)のためになることを考えていきます

脳科学を取り巻く言説に思うこと

 脳科学に関する本や記述を読んでいて、違和感を覚える事がよくあります。こう思ってしまうのは脳のせいだとか、脳に騙されているなどというものまであります。

 

 現代では、心や精神は脳によって作られるものだと考えられている筈ですが、それとは別に、脳とは独立した「私」が無意識に仮定されているのです。私イコール脳なのであれば、上記のような発言には意味がない理屈です。

 

 科学的な世界観としては、唯物主義的機械論なので、物質相互の作用によって全てが動いているという前提です。人体も機械のようなものです。その視点に立って、臓器移植や遺伝子操作、クローンといった技術も発展してきました。

 

 ところで、臓器移植に関する事として現れた概念に「脳死」があります。意識もなく脳の諸機能が回復不能な状態であれば、それを死と認めて、心臓は動いていても、臓器移植のドナーとして認める考え方です。

 

 これは、人間の自然な感覚としては、死とは受け入れ難いものなので、死とは何かという哲学的議論も含め、各分野の専門家による議論が長く行われました。

 

 しかし、考えてみれば、ここにも冒頭の脳科学と同じ視点がある事がわかります。自我意識こそ個人だと捉えられている点です。

 

 物質主義でありながら、その実、一番価値の置かれているのは、脳という臓器の単なる一機能に過ぎないはずの自我意識なのです。

 

 霊主肉従という言葉があるそうですが、この宗教的な思想が、根本的に生きている訳です。物質一元論に世界観が統一されたようでいて、実際のところは、霊肉二元論のままです。かつての宗教と異なるのは、その「霊」には神も悪魔も存在せず、動物は埒外にあり、ただ人間の自我のみを指している点です。

 

 性同一性障害の人においても、やはり重要なのは自我意識であって、肉体のほうを何とかしようと思い、またそれが社会に受け入れられつつあります。

 

 個人主義や利己主義なども、自我意識に関係した話です。

 

 もしも、今後、自我意識の再生産やコピーが可能になったとしたら、その時こそ本当の物質主義が現れる事でしょう。

 

 AIと融合し、電脳空間の中で生きる。近代科学的世界観をそのまま進めていけば、そういう方向へ進んでいくのは思想上、自然な事です。だから、その世界観の下にある現代には、ロボットやサイボーグ、仮想世界をテーマにした空想的芸術作品は枚挙にいとまがありませんし、政府の「ムーンショット計画」のように、それは真面目な話題ですらあります。

 

 人間が機械の中で、または機械として存在していくなら、もちろんペドフィリアなどどうでも良い話になります。恋愛や性欲などに意味はありませんし、バグは書き換えれば良いからです。