「小児性愛」という病 ―それは愛ではない』(斉藤章佳著、ブックマン社、2019年)
という本があります。一部の小児性愛者による犯罪の事例から、その「認知の歪み」等に焦点を当てて論じたものです。
しかし、愛とは何でしょう。何かが好きだという気持ちは全て愛なのではないでしょうか。そして、そこには、独占欲その他の自己中心的なレベルから、キリスト教で言うアガペーのような、自分を勘定に入れない利他的な愛まで、さまざまなレベルがあるのだと言えるでしょう。
そして、アガペーに至っている人はほとんどおらず、そこに至るのは一つの理想なのだと言えます。
つまり、「本当の愛」など、体現できた人はほとんど居ないということです。
ペットを愛していようが、自分の子供を愛していようが、自国を愛していようが、異性を愛していようが、何らかのエゴイズムから人はまず離れられません。
理想であるアガペーの視点からすれば、それに至っていない場合には、すべてが認知の歪みを含んでいます。
それでも、人は自分の立ち位置から出発するしかありません。頑張っても、できることしかできないからです。
つまり、小児性愛者は、ロリやショタから愛情を発展させるしかないわけです。ロリやショタへの愛情を否定することは、愛そのものへのきっかけを否定する事になりかねません。
まず隗より始めよ、とは、中国の格言ですが、同じ意味で私は、まずロリより始めよ、と言いたく思います。