小児性愛者(ロリコン、ペドフィリア)のために考える

小児性愛者(ロリコン、ペドフィリア)のためになることを考えていきます

疲れた小児性愛者と依存症

 世の中にはさまざまな依存症があります。アルコール依存症、各種の麻薬依存症、ギャンブル依存症セックス依存症、テレビゲーム依存症などですが、これらは、最近では、特定の刺激によって脳に変化が起こることが原因であると考えられています。

 変化を起こすのは、例えばアルコール依存症なら、アルコールを摂取することから来る快感による常習です。

 しかし、何より重要なのは、現実逃避という目的です。現実世界に存在することの辛さを忘れさせてくれる快感を得ることが最重要なのです。アルコール依存症は、いずれ肉体的にも依存していくのですが、それ以前に精神的な依存があることは他と同じです。

 依存症は、当人が自立していない点で、つまり自律の利かない点で、当人の人生に不利益を与えていきます。それは経済面であったり、健康面であったりしますが、それらは絡み合っていきます。幸福に導かれることはありません。

 これまで、ペドフィリアのことを私は、子供依存症と名付けたり、セックス依存症愛着障害、また離人症に通ずると指摘したりしてきました。

 もっと大きな意味では、現実世界に対する適応障害であると言えるでしょう。そして、ペドフィリアを取り巻く現実世界は厳しいのです。

 そういう世界にあって、その現実を忘れて楽しむことができる機会や手段があるならば、それを選ばない手は無いのではないでしょうか。

 もしもそれを責めるような人間がいるならば、その人間が責めている相手の人生の責任を持ってほしいとさえ思えます。

 同じことは、依存症の人全般に言える事なのかもしれません。

 尤も、飲酒して周りに暴力を振るったり、幻覚を見て奇行に走ったりするようでは他人の迷惑です。

 テクノロジーが進歩して、バーチャルな世界のリアリティーをもっと体験することができるようになれば、ペドフィリアたちは引きこもり続け、植物状態に近い形で、言わばほぼ現実世界に個性を存在させないような形で暮らしていけるかもしれません。

 バーチャルリアリティーの中では、AIの作った理想的な子供と理想的な時間を過ごすのです。

 現実世界に帰る必要も要求もないのですから、そのまま衰えて死んでいきます。ちょうど、映画『マトリックス』の中の人間のようにです。

 それで良いのではないでしょうか。むしろ、小児性愛者にとっても社会にとっても、それが良いのではないかとすら思えないでしょうか。

 ただ、これは現在ではまだ、未来への可能性の話に過ぎません。

 実際のところ、世の中には、依存症に陥っていない小児性愛者が沢山いることと思われます。その状態を保つことがどれほど大変なことか、上記から想像するべきでしょう。

 努力している小児性愛者には次のように言いたいと思います。

 善き方へと努力しながら、自分を変えようとすることは疲れます。そういう「イケイケ」の人生を送ることに嫌気が差したら、堂々と引きこもって夢の世界に没頭する方が、自分を楽に大切にすることになるのではないでしょうか。せめて休日には努力をやめて、ペドフィリアの思いを空想上に解放させても良いのではないでしょうか。