小児性愛者(ロリコン、ペドフィリア)のために考える

小児性愛者(ロリコン、ペドフィリア)のためになることを考えていきます

「犯罪を起こさせない治療」は治療ならず

 古いものですが、『日刊 SPA!』2018年6月6日のネット記事に

「『小児性愛は治せる』と医師が断言。犯罪を起こさせない治療法とは」

というのがありました。

 


https://nikkan-spa.jp/1481527

 


 これは、タイトルの通り、いかに犯罪を起こさせないのかという話です。この医師は、加害者がいなければ被害者もいないという考えだそうです。

 

 結局、犯罪の火種となる小児性愛をいかに断つかという視点なのであり、人間全体としてその人を見ていないことだろうと想像されます。

 

 「小児性愛障害」ですから、性愛に関わる部分の抑えが効かず苦しむのがペドフィリアではありますが、求めるのはそれだけではなく、愛着の面で偏った心理的欠乏感を何とかしたいという差し迫った欲求に駆られます。それを、成熟した大人にではなく、子供に求めてやまない点が特徴です。

 

 しかし、全てを一緒にして子供に救いを求めるのでなく、個別の要素ごとに求める対象を変えてみる事は不可能なのでしょうか。

 

 例えば、愛着の部分はカウンセリングに、そして性愛の部分は性風俗産業に任せるというようにです。そして、身体的な子供の造形美は、アニメやフィギュア、またラブドールで追究するのです。

 

 二つ目の性愛に関しては、セックスできれば良いというわけにはいかないでしょうから、できる限り若くて容姿の優れた相手を見つける作業が伴います。二十代前半であれば、おかしな表現ですが、子供の面影があるので、性的に興奮することも可能でしょうし、体を重ねてしまえば慣れも生じて、いずれは恋愛対象としてその年齢が入ってくるかも知れません。

 

 世間にはさまざまな性風俗店があるのですから、それを利用しない手は無いというものです。但し、そもそも愛着の問題を抱えるペドフィリアは、依存症にもなりやすいため、昨今話題になった、ホスト通いによる若い女性の支払い不能問題のように、他の問題を併発する危険はあります。

 

 ホストにのめり込む女性は、そこに愛着の問題を持ち込み、解決の糸口にしようとしている訳ですが、体と心を分けずにいるなら、その対象が間違っている気がします。

 

 ともあれ、「犯罪を防ぐために治療」という態度は、社会制度に適合させるための矯正であって、治療とはニュアンスが大いに異なるものだと言わなければなりません。