ブラジャーを着けて仕事をする男性会社員がいるという話は、夙に有名です。
彼らは一体なぜそのようなことをするのでしょうか。単に変態だと言っても、説明にもならなければ、理解にも至りません。
会社という組織の中で、与えられた仕事に責任を持って取り組むことは、容易ではありません。そもそも、「したくない事をさせられている」感が大抵はあるでしょう。重い役職に就けばそれだけストレスも掛かります。
さて、下着メーカーの社員ならいざ知らず、一般の男性にとって、ブラジャーなど生活に何の関係もないものです。けれども、それは性的な対象を象徴しており、同時に極めてプライベートな感覚を味わわせるものです。
更にそれを身に着けるとなれば、アブノーマルな背徳感を覚える事になります。仕事中であれば、なお一層です。
つまり、身に着けたブラジャーとは、厳しく、ある意味では不本意な義務の最中にありながら、それに呑み込まれて潰されず、自分自身であることを常に感じ、確かめるための護符のような存在なのです。
背徳的であることは、周囲の価値観から距離を取ることになるので、自分であるために必要な要素です。
ブラジャーでもパンティーでも物はどうでも構いませんが、身に着けるのに越したことはありません。御守りなどより自分を感じさせてくれるので、より安心感を覚えられるでしょう。
着けないでいる時より、仕事に対して前向きでいられるかも知れません。
むしろ、男性社員はブラジャーを身に着けるべきだとさえ言えそうです。
ただし、他人に知られていては効果がありません。秘め事であるからこそ、反抗になり、自分を匿う機能が生じるのです。
中には、セールス営業時の契約を成立させる願を掛けた「勝負ブラ」を特別に用意する人もいるようです。
この点、ペドフィリアは、いるだけで背徳的である自分を感じるため、ブラジャーに頼らなくても良いのでしょうが、やはり、物として体感できる何かがあった方が、ストレス下でも自分を保ちやすいでしょう。
問題は、ブラジャーと違い、子供のものを成人が身に着ける事が普通できない点です。
畢竟、子供の写真をたくさん入れたスマホを持ち歩く程度になるでしょう。