子供には判断ができないのだから、小児性愛者が子供の同意を得てセックスする事は無効であると、こういう意見がよく聞かれます。
しかし、世間では、子供に判断させたり、子供の意向を随分尊重したりしているのではないでしょうか。
子供がやりたいと言うからこれを習わせ、これを買い与え、この学校へ進ませ、こういう方面への選択をさせる。
ある種の教育さえ、大人と子供の関係を並列的に捉えて、子供のやりたい事をさせるのが良いと謳っています。
以前に取り上げたシュタイナー教育は、「自由への教育」と呼ばれもしますが、これとは全く違った考え方をします。少なくとも中学生の年齢までは、子供が自分の意見を求められたり、自分で何かを判断させられたりする事はありません。
「自由な教育」では全然ありません。
子供がのびのびとしていられるのは、自分で考えて行動するときではなく、安心できる守られた環境にいる時だという考え方です。
ここには一貫した人間観があります。
現代では、子供を小さい大人のように見たがる傾向があるのではないでしょうか。
小学校の教科書にも、自分で考えて、調べ、作るという課題が沢山あります。
道徳でも、基本的に「考える」内容になっています。
しかし、考えても行動が伴わなければ道徳に意味はありませんし、そもそも、考えたり議論したりすると子供は仲良くなれません。
仲良くなるのは、一緒に作業したり遊んだりして手足を動かしている時です。
現代は主知主義に囚われており、子供をなるべく早く、小さな大人のようにしたがる一方で、「子供崇拝」とでも言いたくなるような、偏愛を感じさせるような傾向もあります。
後者は、何か子供を崇高な特別な存在だと捉えている思想傾向です。「子供」と漢字で表記するべきではないと強く主張する人にも、そういうタイプが見られます。
あくまでも印象ですが、そういう人たちは、自分のインナーチャイルドなどに敏感で、子供が別の人類であるかのように感じているのではないかと思うことがあります。
小児性愛者とは似て非なる存在です。
冒頭の言は、そのようなタイプの人の意見なのではないかと感じます。
この子供崇拝の方も実は屈折しており、デモやスピーチなど、やはり大人と同じような事を子供がするのを歓迎する向きもありますし、子供がやりたいというから良いじゃないかと、子供の意向を尊重したがる人もいます。
ちなみに、「老人崇拝」と言えるような人々がいれば、ある意味、社会の役に大変立つ(または、若者の負担を増やすから、役に立たない?)のかもしれませんが、聞いた事がありません。
ところで、いよいよ性交同意年齢が16歳に引き上げられそうです。青少年保護条例もある事に鑑みると、これは、16歳になったら、学生同士なら性交しても構わないという意味なのでしょうか。
なお、現行の13歳以上という規定でも同じ事ですが、判断能力の話だとすると、もしも保護者の同意があれば、それ以下の年齢でも性交して良い、という意味に取られかねません。
具体的に性交許可年齢を定める必要が今後、出てくるのではないでしょうか。